Zio Vision 画像の本質を診る(ザイオソフト)
2022年5月号
特別座談会[前編]黎明期から64列CT登場まで CTの多列化とともに進化した3D画像が臨床に定着,診断から手術支援まで適用が拡大
井田 義宏 氏 / 平野 透 氏 / 小川 泰良 氏 / 横町 和志 氏 / 坂部 大介 氏
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出席者
座長:井田 義宏 氏( 藤田医科大学病院 放射線部)
平野 透 氏(柏葉脳神経外科病院 先端医療研究センター)
小川 泰良 氏( 聖マリアンナ医科大学病院 画像センター)
横町 和志 氏(広島大学病院 診療支援部画像診断部門)
坂部 大介 氏( 熊本大学病院 医療技術部診療放射線技術部門)
医用画像処理ワークステーション(以下,3DWS)は,CTやMRIなどの高度化とコンピュータサイエンスの進化に伴って発展し,今や医療の中で欠かせないツールとなっています。ザイオソフトは,2022年4月15日,パシフィコ横浜で開催されたITEM2022で,まったく新しいコンセプトで開発された次世代WS「REVORAS(レヴォラス)」を発表しました。医用画像処理はどのように進化していくのか。医用画像処理に最前線で携わるトップランナーの先生方にお集まりいただき,3DWSの過去・現在・未来を語る特別座談会を前編(5月号),後編(6月号)の2回にわたってお送りします。前編は3Dの黎明期から現在までを振り返ります。(座談会は2022年2月23日にオンラインで開催)
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ITEM2022で発表された次世代WS「REVORAS」
introduction
3Dワークステーションとの出会いとこれまでの画像処理への取り組み
井田:まずは皆さんの3DWSとのかかわりからお聞きします。最初に私の“3D歴”から。ご存じのように当院は1980年代からヘリカルスキャンの開発を進めていましたので,3D画像の作成にはごく初期からかかわっていました。シングルスライス(SS)CTで30秒以上かけて十数センチを撮影して,そのデータを今で言うサーフェイスレンダリング(SR)で処理をして骨だけを取り出すことを,オパシティカーブなどない時代にやっていました。CTメーカー主導のWSやザイオソフトなどのサードパーティのWS導入の前のことです。今では3D作成は日常業務の一環で,CTにかかわるスタッフからするとWSはCTの一部のような感覚になっていますね。
平野*:1992年にシーメンスのSSCTで動脈瘤の3Dを作ったのが最初です。96年頃に導入された東芝メディカル(当時)の「Extension」が初めてのWSで,DICOM規格などない時代で変換ソフトを自作してシーメンスのCTからデータを転送していました。2000年にマルチスライス(MS)CTが導入されてからは,ザイオソフトの「M900」「M900 QUADRA」「Ziostation」「Ziostation2」と使ってきました。初期の3Dは病変の所在を明らかにすることが目的でしたが,2000年代後半には手術支援画像の提供が主になり,それが3Dラボを立ち上げるきっかけの一つにもなりました。今では,スタッフ全員が手術支援画像を作成できますが,時代とともに画像の作り方や求められる画像は変わってきていると感じています。
小川:最初に触ったWSは東芝メディカル(当時)のCTに付随して導入された「ALATO VIEW」でした。1990年代後半です。データを切り出すのにクリックの回数制限があって,その中でいかにうまく表現するかが面白くて,先輩方に隠れて使っていました。その後,「Asteion」(4列)でMSCTの処理を経験し,次にCT部門に配属された時にはM900 QUADRAが導入されていて,そこで初めてWSでの画像処理に深くかかわることになりました。そこからZiostation2まで,10年以上ザイオソフトのWSで3D作成に携わっています。
横町:私は最初に入職した広島原爆障害対策協議会の健康管理・増進センターで,日立メディコ(当時)の「CT-W3000」(シングル)を使って頭部のCT Angiography(CTA)を作ったのが最初の3D経験です。WSはまだなかったのですが,ウィリス動脈輪の辺りの数センチを2時間ぐらいかけて作成していました。本格的にWSを使い始めたのは広島大学に移ってからで,3D画像の第一人者でもある石風呂実先生(現・東京健康科学大学ベトナム)の下で経験を重ねてきました。今,当院にはほとんどのメーカーのWSがそろっていますが,Ziostation2はネットワーク型の構成でシンスライスデータをすべて保存して,手術支援画像の提供など3D業務に当たっています。
坂部:診療放射線技師19年目で,今日の出席者の中では一番若手になるかと思います。入職1年目に,当直で最初に担当したCTがすでにマルチスライス(4列)でした。GEのCTが稼働していたので「Advantage Windows(AW)」が最初に触ったWSです。その後,血管造影部門では,IVR-CTの画像からシーメンスの「syngo.via」で治療支援の3D画像を作成していました。現在は,Ziostation2をメインに3台のWSを使用して1日1.5人の人員で20件程度作成しています。
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1999年に国産初の三次元医用画像処理ワークステーションとして発売された「M900」。汎用PCでの3D作成を可能にし,臨床での3D利用の道をひらいた。
chapter1●64列以前の3D
処理時間の長さやビデオやフィルムでの画像提供など作成以外の困難が多かった黎明期
井田:ここからは,当時の状況を黎明期ならではのエピソードを含めて振り返りたいと思います。当時(1990年代)のWSは処理時間がかかるので,ムービーの数十枚を処理するのにプリセットをしてスタートして,翌朝見たらエラーが出ていてがっかりしたという経験を何度もしました。データのやりとりもDICOM規格がなかったので,VTRや光ディスク(MO)を使っていました。臨床科への3D画像の提供はフィルムかプリンタ出力だったのですが,カラーレーザープリンタはコストが高いので,手間をかけてカラーで作った3D画像を結局モノクロで出力するような時代でしたね。
平野:私も井田さんと同年代なので,同じ苦労をしてますね。ボリュームレンダリング(VR)画像をモノクロでなくカラーで提供しようとすると,PCに転送してJPEGファイルに変換する処理が必要でした。WSの処理時間はひょっとすると今より少し長いだけだったかもしれないですが,処理や転送に時間がかかるので提供することに精一杯で,その画像が本当に臨床に役に立つのかというところまで行き着けずに日々の画像処理に追われていたと,今思うと感じますね。
小川:当院では,当時,頭部のクモ膜下出血の動脈瘤を3D画像として提供することが多かったのですが,やはりフィルムに落としていました。臨床科からの早く見たいという要望もあって時間的にも厳しかったので,使える画像処理は限られていましたが,逆に考えると誰が作っても同じ画像を提供できていたとも思います。
横町:その頃の3D画像の出力はコドニックス社のハードコピーでした。やはりコストの関係で出力できる画像の枚数に制限があり,角度や断面など画像の選択に悩んだのを覚えています。
3D画像処理の礎となったMPR
井田:今振り返ると,CT画像を見る目を養ってくれたのはMPR(Multi Planar Reconstruction)だったと感じます。4列になると1mm以下のスライス厚で撮影が可能になり,それをMPRに再構成することで画面上でアキシャル,サジタル,コロナル,オブリークが薄いスライスで見られました。解剖学の本でも5mmスライス厚程度だったのに,もっと詳細なデータを自分でスクロールしながら自分の目で確認できる。3Dでは,SRやVRが目につきますが,MPRこそが解剖学的な知識の習得やCT画像への審美眼を養ってくれたと感じます。
平野:WSで画像を読み込むと,最初にVRとMPRの各断面が表示されて元画像が参照できます。シングルの時代には作成することで精一杯でしたが,64列ではMPRも含めた元画像を振り返りながら3D画像を評価することができるようになりました。そうすると元画像を見るだけで,撮影時の再構成関数の間違いや造影の失敗などが判断できるようになりましたね。
横町:確かに自分自身で3Dを作るようになってから,逆にMPRでサジタルやコロナルの画像をより詳細に見るようになりました。穿通枝などの末梢の血管を3Dで描出したいと思うと,普段だったら気にならない,見逃してしまうような細い血管まで目がいくようになりました。3Dを作成するようになってMPRの重要性を再認識したと実感しているので,若いスタッフには積極的に3D作成に携わってほしいと思います。
坂部:自分が3Dに取り組み始めた頃には,すでにMPRが簡単に作成できる環境だったのですが,血管や解剖を理解するためにMPRをよく見ていました。特にシンスライスのデータでは,細かい部分まで描出されていて,教育的にもMPRは重要だなと実感した記憶があります。
井田:よく考えると,今はシンスライスが標準になっているんですね。われわれが学生の頃には,5mmや10mmスライスのデータではパーシャルボリューム効果を考えるべきと言っていたことを考えると隔世の感がありますね。どうですか,小川さん。
小川:そうですね,本当に元画像が重要で,臨床医が必要とする3D画像を提供するためには,臨床を理解して適切な検査を行うなど,検査から3D作成までトータルにかかわる重要性を強く感じました。MPRをしっかり見ることもそうですが,そもそもの元データの精度を非常に気にするようになりましたね。
井田:もう一つ,当時は現在よりも時間的な余裕があって,放射線科や臨床科の医師が検査に立ち会うことも多く,その間にマンツーマンでトレーニングを受けるような環境がありました。ある意味ぜいたくな時間でしたが,現在はそういった医師とのコミュニケーションが少なくなっているのではと不安を感じています。
平野:札幌医科大学病院では,放射線診断医が少ないこともあって医師と2人で集中的に検査や3Dを作成する環境が最初からありました。また,臨床科の医師も,例えば脳神経外科の医師が3Dを作成している現場に来て,臨床的な視点でディスカッションするような環境でした。その中で,手術にこういう画像が必要だとか,3D作成には解剖学的な視点が必要だとかいったことを学べたことは大きな財産でしたね。
chapter2●64列以後の3D
現在につながる撮影の標準プロトコールが確立し,幅広い領域に3D画像の適用が拡大し定着した時代
井田:2000年代中頃には64列CTが普及し,臨床で本格的な3D画像の利用が始まります。64列では各種の検査方法の確立と相まって,3DWSが進化するというサイクルが生まれました。皆さんのところでは,64列では3D作成環境はどのように変化しましたか。
小川:16列の頃から少しずつ3D処理の依頼は増えていたのですが,64列CTが導入されて飛躍的に処理件数が増えました。それに伴って画像処理専任のスタッフを配置するなど,放射線部の体制そのものが大きく変わりましたね。
坂部:熊本大学病院は,ちょうどその時期に新棟が完成して救急部門が立ち上がるタイミングだったこともあって,3D処理の件数が劇的に増えたと記憶しています。心臓CTの検査が常時入るようになって技師の数も増員されました。
横町:確かに64列になって画期的に変わったのが心臓領域だと思います。2005年から2010年ぐらいまで,国内外の学会で心臓CTの演題が急増しました。それだけインパクトが大きく,臨床で心臓の検査が増えるにしたがって,CPR(Curved Planar Reconstruction)など新しい冠動脈の表示方法が続々と出てきたのも印象的でした。
井田:64列での心臓CTは大きな変革でしたね。CPRやストレッチビューなどのさまざまな表示方法が工夫されて,あっという間に臨床に定着していったのはWSの進化の象徴だったと言えるかもしれません。平野さんのところはどうでしたか。
平野:札幌医科大学病院は64列CTの導入が2007年で,皆さんのところより少し遅かったのですが,患者さんの体重に合わせた撮影プロトコールの最適化ができるようになったのは64列からでした。もう一つは,64列CTの導入に合わせてネットワーク型のWSを導入できたのが大きな変化でしたね。それまではスタンドアローンタイプしかなく,順番待ちや端末の奪い合いになっていました。それがネットワーク型では複数の端末で同時並行で作業ができるようになり,1日の処理件数が増えて3Dがルーチンの業務になった時期だと思います。
井田:64列は,いろいろな意味で今につながる変化があったCTです。CTメーカー各社が画像再構成の手法を変えたのも64列で,それが今に続くメーカーの特色にもなっています。また,64列で構築された造影法や撮影タイミングなどは,標準プロトコールとなり現在でも活用されています。
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2005年に発売された「Ziostation」では,独自開発の“ZEEK Engine”で骨除去や血管抽出の自動処理を可能にして適用範囲を大きく広げた。
各領域のスタンダードができた64列時代の3D
井田:64列では全身の撮影が可能になって,3D作成も腹部や整形領域はもちろん,心臓や大動脈など適用が拡大しました。ここからは各領域での工夫や苦労などのエピソードを聞いていきます。まず,心臓CTはどうですか。
横町:心臓CTを始めた当初はテストインジェクション法で撮影していたのですが,造影剤10mLでピークの時間にバラツキがあり,本スキャンでの撮影タイミングも結構あいまいで造影効果も不均一でした。それが次第に造影理論が研究され標準化していったと感じています。その後,アブレーションやバイパスグラフト,TAVI(経カテーテル的大動脈弁置換術)などさまざまな術式支援の撮影を行っていますが,基本的には64列CTで培った技術や知識をベースに対応しているというのが実感ですね。
井田:大動脈は,解離性とか普通の動脈瘤の診断でも,全身の動脈を撮影できるようになったことで救急外来でもよく使われるようになりました。心臓に比べると見過ごされがちですが,大動脈を1回のスキャンで撮影し,3Dで観察できるようになったことは大きな進化だと思いますが,そのあたりはどうでしたか。
小川:鎖骨下から鼠径部までを一気に撮影して画像化できるのは臨床的にも有用性が高く件数も増えましたが,心臓と同様に撮影法や造影の仕方をどうするか工夫を重ねました。上大動脈のアーチファクトをどうするか,生理食塩水で後押しするのはどうかなど,学会や研究会で情報を収集してディスカッションをしてプロトコールを決めました。
井田:札幌医科大学病院では,3Dラボですべての領域の3D作成を行っていますが,手術支援のための画像提供の作成法や体制が整ったのは64列からですか。
平野:そうですね。脳神経外科領域の穿通枝などの微細血管の描出に関しては,先行研究などの報告から撮影方法のベースを作ってはいました。ただ,4列や8列の時代は撮影時間が長く,体幹部はもちろん,頭部領域でも造影効果を維持することが難しく,細い血管の描出や患者ごとの最適化ができるようになったのは64列になってからでした。64列では,描出できないことが少なくなって誰にでもできる検査になったことで造影法も定着していきました。また,当院では,肝胆膵領域も技師が手術支援画像からボリュームメトリーまで,積極的に関与しています。今,肝臓や呼吸器領域では診療科の医師が直接3Dを作る施設もありますが,肝臓には経験が長く得意なメンバーがいて,彼を中心にキャンサーボードに加わったり手術の現場に立ち会ったりして,診療科とのコミュニケーションを重ねて信頼を得てきました。3Dラボでは信頼関係をつくると同時に,検討した造影方法や3Dの作成方法を学会や研究会を通じて積極的に発信するように,この10年間活動を進めてきました。
3D作成技術と診療科のニーズがマッチして領域拡大
井田:一方で,3D画像に対する反応は診療科ごとに温度差があったように感じます。われわれの施設では,整形領域ではシングルの時代から大腿骨骨頭の3Dなどを作成していましたが,当初はあまり要求がありませんでした。施設ごとの事情もあるとは思いますが,診療科による反応の違いは経験していますか。
横町:最近になって増えてきたオーダに,呼吸器外科からの術前の3D画像や,気管支鏡モードでの作成があります。肺野領域では内視鏡モードで気管支内のフライスルー画像を作成する技術は以前からあったのですが,それが診療科にも広がってきたのかもしれません。
小川:診療科ごとの違いというよりも,どちらかというと画像のクオリティ(精度)を上げてほしいという要望が多くなってきたと感じています。例えば,乳房再建の皮弁形成術では術前にVR画像を提供していますが,画像の精度が手術時間に直結するので,できるだけ末梢まで血管を描出してほしいという要望が出てきました。被ばく線量や造影剤量との関連もありますが,CT室としてもさまざまな検討を行っているところです。
坂部:当院では,脳神経外科領域で手術支援画像として,CTとMRをフュージョンして血管と骨,腫瘍との関係がわかる画像の作成依頼が増えています。まさに札幌医科大学の手術支援画像のようなものですが,これは診療科というより医師が個人的に情報を集めてきて「3Dでこういう画像がほしい」と依頼がある感じです。そのほか,整形外科では椎体手術の手術体位での尿管と椎体とのフュージョン画像や,婦人科系の術前には必ずCT urography(CTU)のオーダがあるなど手術支援のオーダは増えています。
井田:すばらしいことですね。3Dの適用範囲の拡大は作成技術だけではダメで,臨床科のニーズとマッチすることが必要です。そういう意味で,これまでの3D作成に対する取り組みが実を結んで,着実に一歩前に進んでいるように感じます。
chapter3●64列以後から現在
増え続ける画像検査の中でいかに質が高く価値のある3D画像を提供していくか
井田:64列以後には3D画像の作成技術が醸成され,それが臨床科にも認識されてきたのだと思います。一方でさまざまな課題も出てきていると思いますが,その辺りはどうですか。
小川:64列以後では面検出器CTの登場が大きなインパクトでした。整形領域から小児,心臓,頭部,IVR系と恩恵を受けていますが,同時に画像処理についてもデータ量と作業量が増大しました。そういう状況の中で,いかに迅速に処理して質の高い画像を提供するか,教育体制も含めて今後の発展のためにも検討を続けることが重要だと考えています。
横町:いろいろな制約があった以前に比べて,今はスピードも処理方法も多様化しています。その中で先輩方に言われて肝に銘じていることに“うその画像を作らない”ということがあります。VRや機能解析など,技師の手,人の手が入る処理では血管の1本や2本は簡単に消せますし,反対に病変を作ることもできます。それだけに,作り手であるわれわれ診療放射線技師がしっかりと勉強して,しかるべき知識を持ち信頼性の高い画像を提供することが重要です。情報が多様化し,同時に検査数も増大して日常の検査に追われる中で,医師にうその画像を送ることは最終的に患者さんの不利益につながりますので,そこは意識して業務に当たっています。
平野:われわれのところでは,放射線部の中に3Dラボという組織を立ち上げて,技師が院内の3D作成業務を担う体制をつくってきました。大学病院といえども,ここまでの体制を構築している施設はまだまだ少ないのが現状だと思いますが,それが結果として医療の質の向上につながっていることは間違いないところです。こういった体制は,決して札幌医科大学病院が暇だったからできたわけではないので,放射線部の中で責任ある立場にいる皆さんが積極的に関与して,放射線部が3D作成をリードするような体制をつくる方向に持っていってもらいたいと思います。データ量や患者さんの数が増えた,日々の業務が忙しいというのは大前提として,その中で前向きにとらえて,患者さんのために責任を持って画像を提供していくにはどうしたらいいか,今一度皆さんと考えながら進めていければと思います。
井田:札幌医科大学病院の体制は理想であり,めざすべきところではあるのですが,それぞれの施設に環境や事情があり,どうしても実現できない状況があるのが現状です。後編では,そこをどうやって打破するのか,そのための体制づくりや,その中でザイオソフトが開発を進めている新しいWSへの期待などを含めてディスカッションしたいと思います。
*平野氏のコメントは,座談会収録時の所属先・札幌医科大学病院でのものです。
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井田 義宏(いだ よしひろ)氏
1984年 名古屋大学医療技術短期大学部 診療放射線技術学科卒業。同年 名古屋保健衛生大学病院(現藤田医科大学病院)放射線部入職。88年 CT検査室へ配属,呼吸同期スキャン,三次元再構成などアプリケーション,ヘリカルスキャンの研究開発に参加。98年 保健衛生学士取得。日本X線CT専門技師認定機構代表理事。日本放射線技術学会,日本診療放射線技師会の委員などを歴任
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平野 透(ひらの とおる)氏
1983年 京都放射線技術専門学校(現京都医療科学大学)卒業。同年札幌医科大学附属病院 中央放射線部入職。2022年 柏葉脳神経外科病院先端医療研究センター入職。2010年 金沢大学大学院医学系研究科保健学専攻 博士前期課程卒業,2019年 同学位(博士)授与。日本放射線技術学会 代議員,日本診療放射線技師会 画像等手術支援分科会委員など役職多数
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小川 泰良(おがわ やすよし)氏
1997年 中央医療技術専門学校卒業。同年聖マリアンナ医科大学病院入職。2009年 保健衛生学士取得。2012年 日本X線CT専門技師認定機構 X線CT認定技師取得。現在,聖マリアンナ医科大学病院 画像センター 技術課長補佐
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横町 和志(よこまち かずし)氏
2001年 鈴鹿医療科学大学保健衛生学部 放射線技術科学科卒業。同年 広島原爆障害対策協議会 健康管理・増進センター入職。2010年 広島大学病院診療支援部 画像診断部門に入職。2018年 広島大学大学院医歯薬保健学研究科医歯薬学専攻 放射線診断学 卒業。日本放射線技術学会,日本診療放射線技師会,日本磁気共鳴医学会,日本CT技術学会などに所属
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坂部 大介(さかべ だいすけ)氏
2004年 熊本大学医療技術短期大学部 診療放射線学科卒業。同年 熊本大学病院入職。2010年 保健衛生学士取得。2017年 熊本大学大学院保健学教育部 博士前期課程卒業。2020年 同博士後期課程卒業。第1種放射線取扱主任者,日本救急撮影認定技師,日本血管撮影・インターベンション専門診療放射線技師,X線CT認定技師取得